オスカル・プジョルの今までの生い立ち

http://www.oscarpujol.com/index.php?option=com_content&view=article&id=19&Itemid=27


写真は本人HPよりお借り


かなり能力不足によるいい加減な訳です。
概略だけでもつかんでもらえれば!!!

tannenbaumさんに教えていただいた
http://d.hatena.ne.jp/tannenbaum/20091012#p1
サーベロ所属のオスカル・プジョルの話


・(1983年)10月16日、日曜日の朝9時に、Terrassa (Barcelona)で生まれる。3,350kg 52cm.

・Terrassaにいたのは11歳まで。
・その後Valladolidに引越す。
・近年は自転車競技のために(自宅とはかなり遠いけど)Alicanteに住んでいる。
・湿気が多くて寒いAlicanteにはチームの宿舎がある。つまり家にはほとんど帰れない。


自転車競技への愛情は、父の影響。
・父は13年間プロの自転車選手で、Santuario de la Virgen del Oroに優勝したこともある。
・それからチーム助手として働いていた。Banesto, Astana そして Phonak.


・小さい時から、どこかチームと契約したかった。
・でも父はまだとても早すぎると、やめさせた。
・でも自転車に対して飽きることはないとわかっていた。
・空手をやったけど、長続きしなかった。
・一時期フットサルをやったけど、すごく下手でやめた。


・研修生にもうなれる時、どこか自転車チームと契約したいと思った。
・Valladolid の自転車学校に行った。
・自転車チームに入るにはもうちょっと大きくないとと言われた。
・しかもバスケットチームに入れば、とさえ言われた。
(?カッコ内分からないけど、背が高かったということ?)
(sin llegar a medir ni siquiera metro y medio de altura)
・なぜなら自転車競技は、とても危険だからと言われた。


・最終的に、自転車競技の熱烈愛好家?のJose と Vikiのカップルの電話番号を手に入れた。
・彼らのチームに所属することになった。
・彼らから沢山のことを学んだ。
・自転車練習法も教わった。
・ヴェロドロームにも行き、tras-coche,abanicos,relevosもやった。(←単語わからず)
・彼らと2年を過ごした

★追記

・tras-coche スピードトレーニン
・abanicos 風除け走行
・Relevo 先頭交代

Nacoさんに教えていただきました。
ありがとうございます!!!


・その後候補生(研修生?)としてBicicletas Meleroに所属した。
・そこでは、ユースとしての時期を過ごした。
・いいキャリアを過ごせて、Copa de Españaのチーム部門で優勝したりした。


・アマチュアで、Unitecとけいやく。2年間を過ごした。
・そのころは真剣に自転車について考えていなかった。
・好きな旅ができて、プレッシャーなしに自転車に乗り、友人に囲まれJoaquín Novoaやその他の友達と出会った。


・アマチュア3年目は当時プロチームだったCafé Baqueに所属。
・このときは以前より真剣にペダルをこぐようになった。
・それは初めて自分が契約したバスクチームだった。
・高いレベルのいいチームだった。
・でも、足の指の小さな炎症が起き、このシーズンは終了。


・Baqueと契約更新せず、AvilaにあるVíctor Sastreのチームに入った。
・初めの年は全く走れなかった。
・足の指の炎症がより酷くなって、歩くこともできない時期があった。
・多くの時間をベットの上で衰弱して過ごした。
・どんな医者や専門家でも診断を受けに行った。
・Víctor Sastreのおかげで、自分の問題を解決するために、トラック競技を教えてくれる人に出会えた。
 ↑gracias al apoyo de Víctor Sastre di con uno que nos puso sobre pista para solucionar mi problema

・歩けなかったこの時期も、自転車に乗り続けた。
・自転車だけが、唯一自分が外の空気に触れられる方法だった。
・そのおかげで、足が痛くても、どうにかその苦痛に耐えられた。

・でもある日、もうペダルを踏んでも、炎症が悪化しない日がついにきた。
・その時から、レース復帰の希望が持てるようになった。
・でも選手として復帰するとは、決めることはでできなかった。

・苦しい時も半分が過ぎ、自分の問題が解決した。
・22歳の2006年5月のある日、自分の問題解決策が見つかり、その午後、自転車にすでに乗っていた。
・次の日も自転車に乗りっぱなしだった。
・朝から晩まで。
・それはトレーニングのためではなかった。
・自分の体がそうしたかったからだ。
・それはまるで長い間紐にくくりつけられていた犬が放たれて、やっと自由を味わっているのと同様だった。



・自分が治った月に、初めて自分ののキャリアが始まった。
・そのシーズン末まで、さらに4勝した。
・さらに、ステージレースで総合でポディウム入りもした。
・駄目になった今まで数年の分を、すぐに獲り返し、さらにトレーニングを行った。


・同じ年に、チームAzpiruの責任者から呼ばれた。それはチーム入りの話だった。
・Víctor Sastreにそのことを話すと、彼はバスクの自転車界でやってみるいいチャンスだと言ってくれた。
・いい1年間がすぎた。
・ Jaizkibel港の近くのLezoでトレーニングをつんだ。(多分サンセバの近く)
・その2007年シーズンは高いレベルのレースで5勝できた。
・シーズン終えて自分は凄く満足だった。
・そして大きな希望をもって、Fuerteventuraチームに移籍する予定だった
(カナリー諸島のチームhttp://www.fuerteventurateam.com/
・でも最終的に、その話はなくなった。
・me quedé con la miel en losabios
・結局「Burgos Monumental」と契約、「プロ自転車選手として走る」という自分の夢が現実になった。

・初めはちょっと怖かったけど、恐怖心はすぐになくなった。
・自分の好きなように走って、アタックした。
・春、アレルギー症状に悩み、期待したレベルには達しなかった。
・でもその後、シーズン後半いい順位につけられた。
・特にVuelta a Burgosの最終ステージ、Lagunas de Neilaゴールで6位。



・まだ信じられないけど、自分は今、ツールに優勝した選手とチームメートだ。
・それはボクの先生の息子、Carlos Sastreだ。
・思いもしなかったことだけど、サーベロが自分に興味をもってくれて、契約を結んだ。
・それは、世界規模の最高レベルのチームに所属するという、自分の大きな夢が実現したということだ。
・まだ、たくさん通らなければならない道があるということは分かっている。
・今25歳。まだまだ今の先、プロの自転車選手としての時間があると思う。
・今まで蓄積したものが、いかなるタイプのあらゆる状況でも、いいことでも悪いことでも、
 それぞれのキャリアでの位置で経験したことから、何か学んでいきたい。(最後の文まるで自信なし)

Óscar