もうとっくに許している

De Telegraaf紙で立て続けにImpeyの記事。



英語圏ではさほど取り上げられてない気がするけど←私の検索が未熟なせい?




これだけ取り上げられるのは、罪悪感からかもしれないけど(加害者意識?)
これも一重に「テオ・ボスがオランダでまだ気にされてる(人気者)」という表れかもしれない。

ロッテルダム6日間の後ろに座ってたおじさん達も、テオ・ボスの出番が来るとやたら盛り上がってたし・・・




英語で話してるはずのImpeyの言葉を蘭語で読むという、不思議な体験(しかも怪しい訳)
内容のニュアンスだけでも・・




http://www.telegraaf.nl/telesport/wielersport/5832471/__Impey_vergeeft_Bos_na_doodsmak__.html


「 Impey ボスを許す 」


ランスのチーム「Radio Shack」の一員として今現在ダウンアンダーで走っているDaryl Impey (25)

もうボスのことはとっくに許していよ。
おそらくこのボスとの事故のせいで、アームストロングは僕に気づいた。
この事故で僕は有名になった。パフォーマンスは低下していたのに。

(4月19日のトルコ1周を思い出して)
ボスが僕の背中をつかんだのを覚えている。だけどその後は覚えていない。
後日、写真で詳細を知った。
ショックだった。怒ってはいなかった。
ただ激怒していた。

重症の怪我でベットに寝ていた。
自分は新たに契約を結ばなければならないのに、ジロに出れないなんて。
ただあの愚かな動作ひとつのせいで。



http://www.telegraaf.nl/telesport/wielersport/5832470/__Impey__Ziekenhuis_was_een_hel__.html

「 病院での日々は地獄だった 」

Alanya(病院のあった所?)ではだれも英語を話せる医者がいなかった。
自分はただベットで安静にしていなければならなかった。
このとき、自分の顎が骨折していると思った。
病院での日々は地獄だった。

(この事故の1週間半後に、Impey は Theo Bosからe-mailを受け取る。)

彼と電話で話をするのは難しいことだった。
すぐにテオが酔っ払っているのを感じたけど、彼の言っていることは呑み込めた。
どう見方を変えても、彼がやったことは過ちだ。
UCI は彼に罰を与えた。
自分もこの落車を静観することができるようになった。
(kommen onder ogen わからない)
その時から、自分はテオを許している。
時がすべての傷をいやしてくれるだろう。




http://www.telegraaf.nl/telesport/wielersport/5832469/__Impey_droomde_van_Armstrong__.html


ある夜、ランスが他と契約を結ばないよう、アドバイスをくれた。
そのあと、秋にヨハン・ブリュイネルが自分にアプローチしてきた。
狂喜乱舞したよ。なぜなら夢が実現するのだから。

(ダウンアンダーでRadioShackジャージデビューしたImpey)
チームが行くところ、カメラが追ってくる。ランスを追って。
特別な感じだ。スポットライトを浴びて走れるんだ。
モチベーションも上がるよ。(最後の3文非常に怪しい。疲れていい加減)




☆きっとテオの苦しみをImpeyは(瞬時に)感じとっていたのかも・・
そう思わせられる電話のくだり(ひょっとして酒浸りだった?)

事故をチャンスと寄ってくる?ランス、気が置けない感じですが^^;
新チャンスに感激して頑張っているImpey、陰ながら応援しようと思います。。