11月9日

http://www.lequipe.fr/Cyclisme/breves2009/20091108_161023_albert-imbattable.html


http://sporza.be/cm/sporza/videozone/MG_sportnieuws/MG_wielrennen/1.631617
☆↑レース動画
凄い凄い。途中あんなに大差をつけられたのに、あっという間に追いついてスプリント勝負!


「 Albert 無敵 」

Trévise と Pilsenの初めの2つのワールドカップの優勝者、世界チャンピオン Niels Albert は
日曜日、フランスのNommay で開催されたステージでも優勝。
この新たな勝利は、秋の大会で最もベルギー人にとって難しいものだっただろう。
なぜならチェコ人選手 Zdenek Stybar がゴールラインまで手こずらせたからだ。
2週目から集団にリード、Stybar と Albert はゴールラインまで追走集団からリードを保つことに成功。
ここ数日前からのにわか雨で滑りやすい路面の、テクニックを要する局面で、
ベルギー人選手は何度もリードを広げられたが、
最終的にはチェコ人の後ろにつくことに成功、最後のスプリントを、タイヤの幅の僅差で勝ち取った。


Franc-Comtois人 Francis Mourey は勝利を競うことはできなかった。
だが、高いレベルで戦えることを示し、初めの2回のワールドカップと同じく5位。
フランスデジューの選手は、指令通りに追走集団で選手の選別、
だが、最後までベルギーの Sven Nys (3位) と Kevin Pauwels (4位)についていくことが出来なかった。

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http://www.lequipe.fr/Cyclisme/breves2009/20091108_224753_cinq-destins-au-pied-du-mur-i.html

「 壁に運命づけられた5人の選手達 」

Olaf Ludwigは、ベルリンの壁崩壊前の、アマチュア自転車競技の偉大なるチャンピオン、
RDAの最後のスター選手だった。
17歳の時、初めて鉄のカーテンを越え、ウィーンで開催された1977年世界選手権ジュニア部門に出場した。

Olaf Ludwig は1988年、ソウル・オリンピックチャンピオンになった。

それより数週間前、私は社会主義国チャンピオンシップのため、キューバに行っていた。
だが、それとは全く別の環境の変化だった。
オーストリアは、他の世界、資本主義の世界だった。

12年後、1989年11月9日、ベルリンの壁は崩壊し、
Olaf Ludwigは、ソウルでのオリンピックのロードチャンピオンとなる。
それは彼にとって30歳、ネオプロでのキャリアのことだった。
その後、チームPanasonicに所属、1990年ツールでマイヨヴェールに輝く。

Ludwigとともに、レキップはこの月曜日から金曜日まで、5人の元東側の選手にインタビューする。
それは彼らの特殊な経験から、歴史の激流を顧みるものになるだろう。
東ドイツの自転車選手の他、チェコのホッケー選手Dominik Hasek (火曜日)
ブルガリアフットボール選手Hristo Stoïchkov (水曜日)←ストイチコフ???
ハンガリーの水泳選手 Kristina Egerszsegi (木曜日)
ポーランド競歩選手 Robert Korzeniowski (金曜日)が登場する。


☆興味深いです。

フランスニュースでも、東ドイツの選手たちが酷いドーピングを強いられていたニュースをやっていました。
中には、自分がどのような薬を投与されていたのかも、知らされず、そして今も分からない選手も・・
恐ろしかったのは、男性ホルモンを投与され続けた(もちろん知らされず)女性砲丸投げ選手が、
結局女性に戻れず、性転換して男性として生きている話とか、
女性陸上選手が結婚して国外に移住する際に、腹部筋肉組織を切断、2度と走れないようにされたとか・・

怖い。

それよりもっと怖いのは、東ドイツでそういうことをしていたコーチたちが、
今第一線で活躍し続けているとのこと・・・